秋田県立美術館(平野政吉美術館)の移転理由は何か

 2007年(平成19年)11月、財団法人平野政吉美術館(現、公益財団法人平野政吉美術財団)は、平野政吉美術館の移転要請をされたが、主な移転理由とされたものは、平野美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を再開発予定地区の目玉にしたい。現美術館が10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県の財政上の理由から今回移転したほうが良いなどであった。

 まず、「秋田の行事」を再開発地区の目玉にという話だが、現美術館と新美術館建設地は、僅か200メートルしか離れていない。しかも、現在地のほうが、秋田市で一番の観光名所、千秋公園の入口にあり、集客面でも優位な立地環境にある。 わざわざ再開発地区の商業施設に隣接した場所に移転しなければならない合理的理由はない。
 また200メートル移動しただけで、にぎわいの目玉になると言う確証は何もない。
 また、現在、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)に展示されている「秋田の行事」は、床から6尺(約1.8メートル)の位置に上げること、両端を少しずつ迫り出して据え付けること(アールを付けること)を藤田嗣治から直接助言を受け、展示しており、美術館自体が「秋田の行事」を展示、鑑賞することを主目的に建設されたものだ。「秋田の行事」を鑑賞するうえで、最高の展示状況にあると言える。この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならない合理的理由は見当たらない。また、「秋田の行事」に限らず藤田嗣治の作品を集客目的に考える発想は疑問視される。

 次に10年以内の耐震補強ための大規模改修が必要であるとのことだが、建物の耐震診断さえ結局実施されなかった。また、現在の耐震技術では東京都台東区国立西洋美術館や神奈川県箱根町のポーラ美術館が採用している建物の揺れを軽減させる「免震構造」という技術もあるが、一切検討しなかった。また、2010年2月と2011年2月の県議会において、知事は「現美術館の文化施設など美術館以外の活用も可能だ」と発言している。美術館としては使用できず、他の文化施設なら可能であるという合理的理由がどこにあるのだろうか。

 県の財政上の理由から、10年後の改修費確保が困難になる可能性があるとの説明があったが信じ難い話である。当初、今回移転した場合、県有地との相殺により県の支出はほとんどないと説明していたものが、2010年の議会では9億2千万円の支出に変わったが、計画の中止はおろか見直しや再検討さえされなかった。著名建築家に設計を依頼したために数億円の設計費が掛かり、イベントなど移転関連事業費にも多額の県費が浪費され続けている。移転が財政上有利だという説明は、真の理由ではなかったようだ。 

 また、県議会において、再開発地区への移転が「秋田への観光客誘致の一助に資する」という、藤田と平野の理念に合ったものだと言う県の答弁もあったが、身勝手な論理である。秋田への観光客誘致の一助に資するために、平野政吉や当時の秋田県知事、秋田市長などによって、恒久的な場所として、閑静な千秋公園の入口の現在の場所が選ばれ、現美術館が建てられたのである。
 
 さらに、近年、東京などで開催された藤田嗣治巡回展に比べ、平野美術館の入館者が少ないことを問題視し、移転が必要だという議論もあった。2010年国勢調査の結果によると首都圏(1都3県)の人口は35,623,327人であり、秋田県人口は約32分の1の1,085,878人にしか過ぎない。単純計算で見ても秋田市にある平野美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当し、入館者が少ないとは決して言えないはずである。
 没後40年レオナール・フジタ展など、藤田嗣治の全国巡回展が多くの観客を動員したのは、全国紙新聞社、全国ネットのテレビ局が主催し、多くの大企業の協賛、外務省やフランス大使館などの後援を得るなど総力を挙げて企画された展示会であったからである。秋田県単独では規模も限定され、全国の美術ファンを引き付けるものはできないだろう。

 平野政吉美術館の移転の理由とされるものは、すべて合理性に乏しく、特定の考えを持った人達だけが利するような移転計画である。また、美術館は、人々が優れた美術品と向き合い、人々の心を豊かにする場所であることが忘れ去られ、再開発地区のにぎわい創出と結び付けられている。

 この移転計画は、当初より、平野美術館を移転させ、跡地に他の施設(千秋公園内にある某施設)を移転させることを目的とした計画であったことが明らかになっている。このことは、当時の県会議員(前国会議員)のブログにも示されている。さらに、当時の佐竹敬久秋田市長(現県知事)は、2007年(平成19年)9月の秋田市議会において、この施設の改築について、「県立美術館跡地における改築も視野に、別途検討を要する」と発言している。現在では、平野美術館の建物を残すべきだと言う市民、県民の声の高まりによって、方向を変え、平野美術館の建物だけを残し、建物に他の施設を移そうという目論見に変わっているようだ。(県議会において、千秋公園内の某施設、美人会館の名が出されている)
 このような移転計画は道義的に見て問題視されるものだ。


 平野政吉美術館は、藤田嗣治の作品を始めとした美術品の収集に全生涯を懸け、生まれ育った「ふるさと秋田」の地に収集した作品を残そうとした平野政吉の人生の終着駅であり、集大成である。美術館の屋根にある採光のための丸窓藤田嗣治の助言を忠実に守ったためであると平野政吉は複数の新聞、雑誌で証言している。そして、この美術館にはレオナール・フジタ藤田嗣治)が最後に制作したフランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じるフジタの尊い思いが込められている。

 平野政吉美術館はこれまで通り、平野政吉が生涯を懸け収集した「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品を保存、展示、公開する美術館として存在し続けることが、本来の姿であり、自然なことである。
 そのことによって、藤田嗣治作品と一体になり、秋田の世界に誇れる文化遺産としての価値をさらに高めるに違いない。




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